花筐~花がたみ

気ままに各地を歩きながら撮った写真をメインにして・・・


“算額のある神社に初詣  三重県四日市市”からの続き>

神明神社・鳥居の向かいに石燈籠が建っている。

210104灯籠

いつの時代のものなのか・・・不明。

その向こう、奥の畑の中()に“伊勢三郎首塚がある。


伊勢三郎は源義経・四天王のひとり

210104伊勢三郎首塚

この首塚については以前に紹介している。

“伊勢三郎義盛の首塚と墓  三重県四日市市”

この記事・写真のように2018年12月には朽ち果てそうな説明板だったが

令和元年(2019年)製の新しい説明板に替えられている。

210104伊勢三郎首塚説明板

説明板は以前から大きな石燈籠の左に立てられている。


神明神社の境内から西へ抜けると旧川島小学校の跡地に出る。

そこに二宮金次郎像が建っている。

210104二宮金次郎像-1

その台座の裏・・・現上皇さまご誕生の一周年を祝す建立なのか。

像と台座とのバランスに違和感があるのだけれど

像と台座とは別ものではないのか・・・。

“七生報国”の台座の上には二宮金次郎像ではなくて

別の何かがあったのではないのか

地元のかたはご存じと思うのだけど・・・。

210104二宮金次郎像-2

ロサンゼルス、長野(南木曽町)、愛知(豊田市)に建つ二宮金次郎像

こちらで合わせて紹介している。

“ロサンゼルス・リトルトーキョーの二宮金次郎像  長野・愛知・三重の像も”


少し北には摂政宮殿下御成婚記念”の石塔が建っている。

210104摂政宮ご成婚記念碑

調べると、昭和天皇のご結婚は1924年(大正13年)

摂政就任は1921年(大正10年)だった。


史跡巡りをしながら川島神社に向かう。

(撮影 2021年01月04日(月) OLYMPUS XZ-10

          

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史跡巡り、いいですね♪
幻の例のものは流れてきませんでした~
てんこ盛り祭、とてもよかったですよ
ぽち
[ 2021/01/09 06:16 ] [ 編集 ]
おはようございます
二宮金次郎の像 小学校にありました。毎朝 挨拶して登校しました
今日があるのは二宮金次郎のお陰かな
[ 2021/01/09 09:54 ] [ 編集 ]
おはようございます♪
二宮金次郎の像は、子供達が通った学校にも有った筈なんだけど、
何時の頃か無くなって、長くPTA 会長をした人の石碑が・・・
父兄から、凄いブーイングでしたよ(笑)
人間的に、全く信頼出来ない事で有名な人でしたから(^_^;)
[ 2021/01/09 10:30 ] [ 編集 ]
Saas-Feeの風さん、こんにちは~♪
「算額のある神社に初詣」から拝見しましたが、算額については
昨年の秋にNHKの歴史秘話ヒストリア・和算で初めて知りました。
詳しいことは忘れましたが、和算は戦国時代の大名に好まれていたり、
江戸時代になると、庶民にも普及していったということでした。
レベルも西洋数学より高いものもあったそうです。

伊勢三郎の首塚については畑の中にぽつんと立っているのを
以前のブログで拝見した覚えがあります。
二宮金次郎像は最近あまり見かけなくなりましたが、
昔はどこの小学校にも立てられていましたね。
史跡巡りですか。楽しみが増えて良かったですね。
[ 2021/01/09 15:30 ] [ 編集 ]
こんにちは。。。
「伊勢三郎の首塚」

四日市市にあったのですね。。。

私は源頼朝公を崇拝するあまり、一時は平家を敵視し
九郎義経を嫌っていた頃がありました。。。
しかしそれは勝者による捻じ曲げがあったり
その時にはその行為を理解されなかったりしただけで
誰もがその時々で最良と思った行動をしていただけと
思うようになりその後は平家の史跡も義経の史跡も
廻るようになりました・・・

「伊勢三郎の首塚」も四日市市を訪れる機会があれば
お参りしたいと思います。。。

長々と申し訳ありませんでした。。。
[ 2021/01/09 18:24 ] [ 編集 ]
伊勢三郎は昔義経のドラマに登場しましたね。

二宮金次郎の像は母校の小学校に今もありますが、
台座は貧弱なものです、こちらは立派ですね。
野口英世像が追加されています。

和算のある神社のこと調べて頂きありがとうございます。
確かにそういう名前でした。
おいしこ神社と読んだと思います。一般には読めない字で
かえって記憶が鮮明です。
和算の存在は40年前に聞いていました。
[ 2021/01/10 07:45 ] [ 編集 ]
おはようございます。
こうした石灯籠をたくさん見ましたが、これも古そうですね。
大抵読めないながらも年号が書いてありますが、これには見当らないのですね。
伊勢野三郎について改めて認識しました。
義経に関係した人もことごとくやられてしまって悲壮感が漂っています。
↑のmatsubaraさまの母校の小学校の横を通って、二宮金次郎だけでなく野口英世の像も見て珍しいなあと思いました。

[ 2021/01/10 09:01 ] [ 編集 ]
Σ たんぽぽさんへ
てんこ盛り祭りに期待します。
明日、覗いてみようと思っています。
いつも応援ありがとうございます。
[ 2021/01/11 10:31 ] [ 編集 ]
Σ ヒューマンさんへ
小田原の報徳二宮神社にお参りしたことがありますよ。
[ 2021/01/11 10:35 ] [ 編集 ]
Σ ベルさんへ
それは酷い!
撤去と建立費はどこから?
どこにもそんな輩がいるのですねえ。
後世にわたって恥をさらし続けることが判らないのかねえ~。
[ 2021/01/11 10:37 ] [ 編集 ]
Σ hiroさんへ
hiroさん、こんにちは。
そのような番組があったとは知りませんでした。
観たかったですよ~。
再放送を期待して待ってます。
和算の関孝和の話を読んだことを思い出しました。
子どものころのことでしたので
新設の算額を見るまで、その名を想うことがありませんでしたよ。

今の子どもたちは二宮金次郎・尊徳のことを知っているのでしょうかねえ。
[ 2021/01/11 10:44 ] [ 編集 ]
Σ ViVid Mr.Kさんへ
かつては判官びいきによって
頼朝や家康を悪者とすることがあったのでしょうね。
さまざまな史料から新説が広まり
世間の考えが変わってきたのでしょう。

壇ノ浦や屋島には行ったことがありますよ。

伊勢三郎の首塚は近鉄・湯の山線・川島駅から
南へ15分ほどの場所にあります。
墓はそこから東へ100mほど、西福寺にあります。
[ 2021/01/11 10:52 ] [ 編集 ]
Σ matsubaraさんへ
1966年の大河ドラマ・源義経では伊勢三郎を
田中春男さんが演じておられましたね。
野口英世は猪苗代あたりの出身なのに
どうしてそちらに像が建立されたのでしょう。
箕面にも野口英世像がありましたね。
駅から滝へ向かう途中の左手だったように思います。

生石神社・・・おうしこ・・・だそうですよ。
[ 2021/01/11 11:01 ] [ 編集 ]
Σ tonaさんへ
土山の石燈籠に似てますね。
規模が全然違ってますが・・・。
新しいもののような気がしますが
文字の有無を確認してくるつもりです。

野口博士は岐阜にも足跡を残しておられたということでしょうね。
[ 2021/01/11 11:06 ] [ 編集 ]
二宮金次郎さん、昔はたくさんの学校にあった様ですねえ。いつの間にか見なくなりました。
もっとも私は戦中はほとんど近所の分教場、戦後はカトリックの学校でしたから、二宮金次郎さんとは縁がなかったけれど。
私の学校には門のところにルルドのマリア様がいらっしゃって、奇跡の水の泉に本物はあるって聞いていましたっけ。
[ 2021/01/11 22:59 ] [ 編集 ]
Σ agewisdomさんへ
あちこちの小学校には二宮金次郎像があったようですが
Saas-Feeの風が通った小学校にはありませんでした。
像の写真や絵を書物で見るだけで、実物は身近にありませんでしたよ。
カトリック系の学校には二宮金次郎像が無いでしょうね。
[ 2021/01/12 08:45 ] [ 編集 ]
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Saas-Feeの風

Author:Saas-Feeの風
ニックネームは
スイスの村名に因みます


スイス

偶然 リギ山上(標高1750m)から見えた

スイス空軍ジェット戦闘機6機

(撮影 2008年07月10日)

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